デザイナープロフィール

日本クラフトデザイン協会会員
  
  込山  裕司
(コミヤマ ヒロシ)

1948 神奈川県横浜市に生まれる
1980 二戸市で木と出会い、(有)プラム工芸を設立
1982 第23回 全日本中小企業見本市にて優秀賞受賞
                (サラダサーバー)
1984 「暮しを創る’84クラフト展」にて入選(肩たたき)
1985 「国際デザインフェア’85金沢インいしかわ」 入賞
                (木のテーブルウェア)
1986 「’86ヨーロッパのクラフト 日本のクラフト展」 入選
                      (まごのて)
    クロックフェスタにて入選(時計・ひまわり)
    高岡クラフトコンペにて入選(スッテキ)
1988 (日本クラフト展)にて入選(くつべら輪・くつべら玉)
1989 個展 日本橋三越
1991 個展 東京大丸
1993 個展 銀座松屋
1994 ショールーム プラム工芸館開設
モノ作りについて考えていること…
岩手県という豊かな自然に恵まれた土地で暮している中で、実は貴重な財産である天然素材が利用されずにいることに驚かされます。そして、これまで利用されることが少なかった、雑木と呼ばれる木々との出会いと感動が、私たちのモノ作りの原点になりました。
 そのひとつが「オノオレカンバ」だったのです…。機能性に優れ、美しく、独創的なもの。
 日々の暮しの中にささやかな豊かさをお届けできれば幸いです。


木と対話する
   オノオレカンバ               mori 2000 spring
      込山 裕司                 no.1/vol.26 2000年春号
                             発行 (財)林野弘済会


 「オノオレカンバ」と聞いても、たいていの人はキョトンとして「斧折れ樺」という漢字が頭の中に浮かばないようだ。外材の一種だと思う人もいる。別名アズサミネバリ、ミネバリという人もいるが、「梓」だ。ある人がこの木は昔、朝廷に献上されるほど珍重されたと教えてくれた。 私がはじめてこの材を手にしたのは二十年ほど前のことで、何かの端材だった。いま思えば木の股の部分で、特に複雑な木目をしたものだった。しっとり重く、ナイフではなかなか削れなかったことを覚えている。この木で何かできないか、それが木工を始める私の原点となった。 作業はサンディング加工が主で、防塵マスクをつけても口の中に独特の苦味が残る。悪いにおいではないが、かすかに酸っぱいようなにおいだ。外から帰ると特に分かり、その中に入ると妙に心が落ち着くのは私が働き虫のせいだろうか。若い時は、沈木であるこの木の重さをバーベル代わりぐらいにしか考えなかったが、今ではその重さが少し手に余る時もある。たまに朴の木などを使うと、あらためて自分が頑固な奴に惚れたことを思い知る。だが仕上がりの美しさは比類がないと思っている。 先日この木の取材をしたいとTV局から電話があり、切られずにあるか不安で見に行った。三月の初めなので雪があり、冷たい風の中に無事にそれは立っていた。渓流の上の崖の半ばに黒々と見慣れた樹皮が見えた。百年余の木の樹姿は風雪に耐え、真に風格がある。私の手元にある板もどこかでこのように立っていたのかと思うと、こころが痛むこともある。 昨今は生活のために、渓流ならぬビルの谷間にこの木とともに展示会に行くことが多くなった。木のザワめきに対して人と車の騒音、清涼な風成らぬ、乾ききった暖房と別世界だ。「木はやっぱり暖かくていいわね」と言ってくれる人もいる。私自身、安らぐことのないビルの谷間で人々が何かを感じてくれるなら、この木も私もそれでいいのだろう。 何年か前に買ってくれた人が来て言った。 「祖母が最期までこのまごの手を愛用していましたので、一緒に入れてやりました」 オノオレカンバの立ち木をふと思い出した。